》となるであらう。しかもこの新らしい随筆の作者は必《かならず》しも庸愚《ようぐ》の材《ざい》ばかりではない。ちやんとした戯曲や小説の書ける(一例を挙げれば僕の如き)相当の才人もまじつてゐるのである。
随筆を清閑の所産とすれば、清閑は金《かね》の所産である。だから清閑を得る前には先づ金を持たなければならない。或は金を超越《てうゑつ》しなければならない。これはどちらも絶望である。すると新しい随筆以外に、ほんものの随筆の生れるのもやはり絶望といふ外《ほか》はない。
李九齢《りきうれい》は「莫問野人生計事《とふなかれやじんせいけいのこと》」といつた。しかし僕は随筆を論ずるにも、清閑の所産たる随筆を論ずるにも、野人生計の事に及ばざるを得ない。況《いはん》や今後もせち辛《がら》いことは度たび辯ぜずにはゐられないであらう。かたがた今度の随筆の題も野人生計の事とつけることにした。勿論これも清閑を待たずにさつさと書き上げる随筆である。もし幾分でも面白かつたとすれば、それは作者たる僕自身の偉い為と思つて頂きたい。もし又面白くなくなつたとしたら――それは僕に責任のない時代の罪だと思つて頂きたい。
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