時の意気を。傍若無人、眼中殆んど平氏なし。彼は院の近臣の心事を、最も赤裸々に道破せるものにあらずや。しかも、彼等の密邇し奉れる後白河法皇は、入道信西をして、「反臣側にあるをも知ろしめさず。そを申す者あるも、毫も意とし給はざる程の君也」と評せしめたる、極めて敢為の御気象に富み給へる、同時に又、極めて術数を好み給ふ君主に、おはしましき。かくの如き法皇にして、かくの如き院の近臣に接し給ふ、欝勃たる反平氏の空気が、遂に恐るべき陰謀を生み出したる、亦怪むに足らざる也。此時に於て、隠忍、軽悍、驕妬の謀主、新大納言藤原成親が、治承元年山門の争乱に乗じ、名を後白河法皇の院宣に藉り、院の嬖臣を率ゐて、平賊を誅せむとしたるが如き、其消息の一端を洩したるものなりと云はざるべからず。小松内大臣が「富貴の家禄、一門の官位重畳せり。猶再実る木は其根、必傷るゝとも申しき。心細くこそ候へ」と、入道相国を切諫したる、素より宜なり。若し夫、唯機会だにあらしめば、弓をひいて平氏政府に反かむとするもの、豈独り、院の近臣に止らむや。一葉落ちて天下の秋を知る。平治の乱以来、茲に十八星霜、平氏は此陰謀に於て、始めて其存在の価値を問はむとするものに遭遇したり。是、寿永元暦の革命が、漸くに其光茫を現さむとするを徴するものにあらずや。
かくの如くにして、平氏政府は、浮島の如く、其根柢より動揺し来れり。然れ共、吾人は更に恐るべき一勢力が、平氏に対して終始、反抗的態度を、渝へざりしを忘るべからず。
更に恐るべき一勢力とは何ぞや。曰く南都北嶺の僧兵也。僧兵なりとて妄に笑ふこと勿れ。時代と相容るゝ能はざる幾多、不覇不絆の快男児が、超世の奇才を抱いて空しく三尺の蒿下に槁死することを得ず。遂に南都北嶺の緇衣軍に投じて、僅にその幽憤をやらむとしたる、彼等の心事豈憫む可からざらむや。請ふ再吾人をして、彼等不平の徒を生ぜしめたる、当時の社会状態を察せしめよ。
平和の時代に於ける、唯一の衛生法は、すべてのものに向つて、自由競争を与ふるにあり。而して覇権一度、相門を去るや、平氏が空前の成功は、平家幾十の※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]袴子をして、富の快楽に沈酔せしむると同時に、又藤原氏六百年の太平の齎せる、門閥の流弊をも、蹈襲せしめたり。是に於て平氏政府は、其最も危険なる平和の時代に於て、新しき活動と刺戟とを鼓吹すべき、自由競争
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