しく、不退転の訳読を続けて行った。しかし先生の眼の中には、それでもなお時として、先生の教授を受ける生徒たちの――恐らくは先生が面しているこの世間全体の――同情を哀願する閃《ひらめ》きが、傷ましくも宿っていたではないか。
 刹那《せつな》の間《あいだ》こんな事を考えた自分は、泣いて好《い》いか笑って好いか、わからないような感動に圧せられながら、外套の襟に顔を埋《うず》めて、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》カッフェの外へ出た。が、後《あと》では毛利先生が、明るすぎて寒い電燈の光の下で、客がいないのを幸《さいわ》いに、不相変《あいかわらず》金切声《かなきりごえ》をふり立て、熱心な給仕たちにまだ英語を教えている。
「名に代る詞《ことば》だから、代名詞と云う。ね。代名詞。よろしいかね……」
[#地から1字上げ](大正七年十二月)



底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月7日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全8ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング