ちょう》。」
「君一人で住んでいるの?」
「いいえ、お友だちと二人で借りているんです。」
わたしはこんな話をしながら、静物《せいぶつ》を描《か》いた古カンヴァスの上へ徐《おもむ》ろに色を加えて行った。彼女は頸《くび》を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた彼女の気質としか思われなかった。わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子《ひょうし》には目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣《わけ》ではなかった。
わたしの制作は捗《はか》どらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵《たいてい》は絨氈《じゅうたん》の上にころがり、頸すじや頭を揉《も》んで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしていた。わたしの部屋には画架のほかに籐椅子の一脚あるだけだった。籐椅子は空気の湿度《しつど》の加減か、時々誰も坐らないのに籐《とう》のきしむ[#「きしむ」に傍点]音をさせることもあった。わたしはこう云う時には無気味になり、早速どこかへ散歩へ出ることにしていた。しかし散歩に出ると云っても、下宿の裏の土手伝いに寺の多い田舎町《いなかまち》へ出るだけだった。
けれどもわたしは休みなしに毎日画架に向っていた。モデルもまた毎日|通《かよ》って来ていた。そのうちにわたしは彼女の体に前よりも圧迫を感じ出した。それにはまた彼女の健康に対する羨《うらやま》しさもあったのに違いなかった。彼女は不相変《あいかわらず》無表情にじっと部屋の隅へ目をやったなり、薄赤い絨氈《じゅうたん》の上に横わっていた。「この女は人間よりも動物に似ている。」――わたしは画架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考えたりした。
ある生暖《なまあたたか》い風の立った午後、わたしはやはり画架に向かい、せっせとブラッシュを動かしていた。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。わたしはいよいよ彼女の体に野蛮《やばん》な力を感じ出した。のみならず彼女の腋《わき》の下《した》や何かにある※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》も感じ出した。その※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]はちょっと黒色人種《こくしょくじんしゅ
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