》の皮膚《ひふ》の臭気《しゅうき》に近いものだった。
「君はどこで生まれたの?」
「群馬県××町」
「××町? 機織《はたお》り場《ば》の多い町だったね。」
「ええ。」
「君は機《はた》を織らなかったの?」
「子供の時に織ったことがあります。」
 わたしはこう云う話の中にいつか彼女の乳首《ちちくび》の大きくなり出したのに気づいていた。それはちょうどキャベツの芽《め》のほぐれかかったのに近いものだった。わたしは勿論ふだんのように一|心《しん》にブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首に――そのまた気味の悪い美しさに妙にこだわらずにはいられなかった。
 その晩《ばん》も風はやまなかった。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行こうとした。しかし意識がはっきりして見ると、障子《しょうじ》だけはあけたものの、ずっとわたしの部屋の中を歩きまわっていたらしかった。わたしは思わず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈《じゅうたん》に目を落した。それから素足《すあし》の指先にそっと絨氈を撫《な》でまわした。絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った後、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》床へはいることにした。
 わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がっかりした。と云ってわたしの部屋にいることは反ってわたしには落ち着かなかった。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかっていた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも関《かかわ》らず、不思議にもはっきり浮き上っていた。わたしは土手伝いに歩きながら、おお声に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑えなければならないのに違いなかった。わたしはちょうど頭だけ歩いているように感じながら、土手伝いにある見すぼらしい田舎町《いなかまち》へ下《お》りて行った。
 この田舎町は不相変《あいかわらず》人通りもほとんど見えなかった。しかし路《みち》ばたのある電柱に朝鮮牛《ちょうせんうし》が一匹|繋《つな》いであった。朝鮮牛は頸《くび》をさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にじっとわたしを見守っていた。
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