名高い婆羅門《ばらもん》の秘法を学んだ、年の若い魔術《まじゅつ》の大家なのです。私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹介でミスラ君と交際していましたが、政治経済の問題などはいろいろ議論したことがあっても、肝腎《かんじん》の魔術を使う時には、まだ一度も居合せたことがありません。そこで今夜は前以て、魔術を使って見せてくれるように、手紙で頼んで置いてから、当時ミスラ君の住んでいた、寂しい大森の町はずれまで、人力車を急がせて来たのです。
私は雨に濡れながら、覚束《おぼつか》ない車夫の提灯の明りを便りにその標札の下にある呼鈴《よびりん》の釦《ボタン》を押しました。すると間もなく戸が開《あ》いて、玄関へ顔を出したのは、ミスラ君の世話をしている、背の低い日本人の御婆さんです。
「ミスラ君は御出でですか。」
「いらっしゃいます。先ほどからあなた様を御待ち兼ねでございました。」
御婆さんは愛想《あいそ》よくこう言いながら、すぐその玄関のつきあたりにある、ミスラ君の部屋へ私を案内しました。
「今晩は、雨の降るのによく御出ででした。」
色のまっ黒な、眼の大きい、柔《やわらか》な口髭《くちひげ》の
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