麝香《じゃこう》か何かのように重苦しい※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]さえするのです。私はあまりの不思議さに、何度も感嘆《かんたん》の声を洩《もら》しますと、ミスラ君はやはり微笑したまま、また無造作《むぞうさ》にその花をテエブル掛の上へ落しました。勿論落すともとの通り花は織り出した模様になって、つまみ上げること所か、花びら一つ自由には動かせなくなってしまうのです。「どうです。訳はないでしょう。今度は、このランプを御覧なさい。」
 ミスラ君はこう言いながら、ちょいとテエブルの上のランプを置き直しましたが、その拍子《ひょうし》にどういう訳か、ランプはまるで独楽《こま》のように、ぐるぐる廻り始めました。それもちゃんと一所《ひとところ》に止ったまま、ホヤを心棒《しんぼう》のようにして、勢いよく廻り始めたのです。初《はじめ》の内は私も胆《きも》をつぶして、万一火事にでもなっては大変だと、何度もひやひやしましたが、ミスラ君は静に紅茶を飲みながら、一向騒ぐ容子《ようす》もありません。そこで私もしまいには、すっかり度胸が据《すわ》ってしまって、だんだん早くなるランプの運動を、眼も離さず眺めていました。
 また実際ランプの蓋《かさ》が風を起して廻る中に、黄いろい焔《ほのお》がたった一つ、瞬《またた》きもせずにともっているのは、何とも言えず美しい、不思議な見物《みもの》だったのです。が、その内にランプの廻るのが、いよいよ速《すみやか》になって行って、とうとう廻っているとは見えないほど、澄み渡ったと思いますと、いつの間《ま》にか、前のようにホヤ一つ歪《ゆが》んだ気色《けしき》もなく、テエブルの上に据っていました。
「驚きましたか。こんなことはほんの子供|瞞《だま》しですよ。それともあなたが御望みなら、もう一つ何か御覧に入れましょう。」
 ミスラ君は後《うしろ》を振返って、壁側《かべぎわ》の書棚を眺めましたが、やがてその方へ手をさし伸ばして、招くように指を動かすと、今度は書棚に並んでいた書物が一冊ずつ動き出して、自然にテエブルの上まで飛んで来ました。そのまた飛び方が両方へ表紙を開いて、夏の夕方に飛び交う蝙蝠《こうもり》のように、ひらひらと宙へ舞上るのです。私は葉巻を口へ啣《くわ》えたまま、呆気《あっけ》にとられて見ていましたが、書物はうす暗いランプの光の中に何冊も自由に飛び廻
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