中にも珍らしいであらう。
 僕等はいつか工事場らしい板囲《いたかこ》ひの前に通りかかつた。そこにも労働者が二三人、せつせと槌《つち》を動かしながら、大きい花崗石《くわかうせき》を削《けづ》つてゐた。のみならず工事中の鉄橋さへ泥濁りに濁つた大川の上へ長々と橋梁《はしげた》を横たへてゐた。僕はこの橋の名前は勿論、この橋の出来る話も聞いたことはなかつた。震災は僕等の後《うしろ》にある「富士見《ふじみ》の渡し」を滅してしまつた。が、その代りに僕等の前に新しい鉄橋を造らうとしてゐる。……
「これは何《なん》といふ橋ですか?」
 麦藁帽を冠《かぶ》つた労働者の一人《ひとり》は矢張《やは》り槌を動かしたまま、ちよつと僕の顔を見上げ、存外《ぞんぐわい》親切に返事をした。
「これですか? これは蔵前橋《くらまえばし》です。」

     「一銭蒸汽」

 僕等はそこから引き返して川蒸汽《かはじようき》の客になる為に横網《よこあみ》の浮き桟橋《さんばし》へおりて行つた。昔はこの川蒸汽も一銭蒸汽と呼んだものである。今はもう賃銭も一銭ではない。しかし五銭出しさへすれば、何区でも勝手に行《ゆ》かれるのである。け
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