ヌんでゐたら、村田春海《むらたはるみ》の竺志船物語《つくしぶねのものがたり》と、ちつとも違はない話が出て来た。この訳の原文は何かしら。」――夢の中の僕はそんな事を思つた。が、その小説のしまひを読んだら、「わか葉生《ばせい》訳」と書いてあつた。もう少し先をあけて見ると、今度は写真版が沢山《たくさん》出て来た。みんな森先生の書画だつた。何《なん》でも蓮《はす》の画と不二見西行《ふじみさいぎやう》の画とがあつた。写真版の次は書簡集だつた。「子供が死んだから、小説は書けない。御寛恕《ごくわんじよ》下さい」と云ふのがあつた。宛《あて》は畑耕一《はたかういち》氏だつた。永井荷風《ながゐかふう》氏宛のも沢山《たくさん》あつた。それは皆どう云ふ訣《わけ》か、荷風堂《かふうだう》先生と云ふ宛名だつた。「荷風堂は可笑《をか》しいな。森先生ともあらうものが。」――夢の中の僕はそんな事も思つた。それぎり夢はさめてしまつた。僕はその日|五山館《ござんくわん》詩集に、森先生の署せられた字を見てゐた。それから畑耕一《はたかういち》氏に、煙草を一箱貰つてゐた。さう云ふ事が夢の中に何時《いつ》か織りこまれてゐたと見える
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング