不思議な島
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)籐《とう》の長椅子《ながいす》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)新聞が一枚|抛《ほう》り出してある

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十二年十二月)
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 僕は籐《とう》の長椅子《ながいす》にぼんやり横になっている。目の前に欄干《らんかん》のあるところをみると、どうも船の甲板《かんぱん》らしい。欄干の向うには灰色の浪《なみ》に飛び魚か何か閃《ひらめ》いている。が、何のために船へ乗ったか、不思議にもそれは覚えていない。つれがあるのか、一人なのか、その辺《へん》も同じように曖昧《あいまい》である。
 曖昧と云えば浪の向うも靄《もや》のおりているせいか、甚だ曖昧を極めている。僕は長椅子に寝ころんだまま、その朦朧《もうろう》と煙《けぶ》った奥に何があるのか見たいと思った。すると念力《ねんりき》の通じたように、見る見る島の影が浮び出した。中央に一座の山の聳えた、円錐《えんすい》に近い島の影である。しかし大体の輪郭《りんかく》のほかは生憎《あいにく》何もはっきりとは見えない。僕は前に味をしめていたから、もう一度見たいと念じて見た。けれども薄い島の影は依然として薄いばかりである。念力も今度は無効だったらしい。
 この時僕は右隣《みぎどなり》にたちまち誰かの笑うのを聞いた。
「はははははは、駄目《だめ》ですね。今度は念力もきかないようですね。はははははは。」
 右隣の籐椅子《とういす》に坐っているのは英吉利《イギリス》人らしい老人である。顔は皺《しわ》こそ多いものの、まず好男子と評しても好《い》い。しかし服装はホオガスの画《え》にみた十八世紀の流行である。Cocked hat と云うのであろう。銀の縁《ふち》のある帽子《ぼうし》をかぶり、刺繍《ぬいとり》のある胴衣《チョッキ》を着、膝ぎりしかないズボンをはいている。おまけに肩へ垂れているのは天然《てんねん》自然の髪の毛ではない。何か妙な粉《こな》をふりかけた麻色《あさいろ》の縮《ちぢ》れ毛の鬘《かずら》である。僕は呆気《あっけ》にとられながら、返事をすることも忘れていた。
「わたしの望遠鏡《ぼうえんきょう》をお使いなさい。これを覗《のぞ》けばはっきり見えます。」
 老人は人の悪い笑い顔をしたまま、僕の手に古い望遠鏡を渡した。いつかどこかの博物館に並んでいたような望遠鏡である。
「オオ、サンクス。」
 僕は思わず英吉利《イギリス》語を使った。しかし老人は無頓着《むとんじゃく》に島の影を指さしながら、巧みに日本語をしゃべりつづけた。その指さした袖《そで》の先にも泡のようにレエスがはみ出している。
「あの島はサッサンラップと云うのですがね。綴りですか? 綴りはSUSSANRAPです。一見《いっけん》の価値のある島ですよ。この船も五六日は碇泊《ていはく》しますから、ぜひ見物にお出かけなさい。大学もあれば伽藍《がらん》もあります。殊に市《いち》の立つ日は壮観ですよ。何しろ近海の島々から無数の人々が集まりますからね。……」
 僕は老人のしゃべっている間《あいだ》に望遠鏡を覗いて見た。ちょうど鏡面《きょうめん》に映《うつ》っているのはこの島の海岸の市街《まち》であろう。小綺麗《こぎれい》な家々の並んだのが見える。並木の梢《こずえ》に風のあるのが見える。伽藍《がらん》の塔の聳えたのが見える。靄《もや》などは少しもかかっていない。何もかもことごとくはっきりと見える。僕は大いに感心しながら、市街《まち》の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
 鏡面には雲一つ見えない空に不二《ふじ》に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽《おお》われている。玉菜《たまな》、赤茄子《あかなす》、葱《ねぎ》、玉葱《たまねぎ》、大根《だいこん》、蕪《かぶ》、人参《にんじん》、牛蒡《ごぼう》、南瓜《かぼちゃ》、冬瓜《とうがん》、胡瓜《きゅうり》、馬鈴薯《ばれいしょ》、蓮根《れんこん》、慈姑《くわい》、生姜《しょうが》、三つ葉――あらゆる野菜に蔽われている。蔽われている? 蔽わ――そうではない。これは野菜を積み上げたのである。驚くべき野菜のピラミッドである。
「あれは――あれはどうしたのです?」
 僕は望遠鏡を手にしたまま、右隣の老人をふり返った。が、老人はもうそこにいない。ただ籐の長椅子の上に新聞が一枚|抛《ほう》り出してある。僕はあっと思った拍子《ひょうし》に脳貧血か何か起したのであろう。いつかまた妙に息苦しい無意識の中に沈んでしまった。

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