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「どうです、見物はすみましたか?」
 老人は気味の悪い微笑をしながら、僕の側へ腰をおろした。
 ここはホテルのサロンであろう。セセッション式の家具を並べた、妙にだだっ広い西洋室である。が、人影《ひとかげ》はどこにも見えない。ずっと奥に見えるリフトも昇《のぼ》ったり降《くだ》ったりしている癖に、一人も客は出て来ないようである。よくよくはやらないホテルらしい。
 僕はこのサロンの隅の長椅子に上等のハヴァナを啣《くわ》えている。頭の上に蔓《つる》を垂らしているのは鉢植えの南瓜《かぼちゃ》に違いない。広い葉の鉢を隠したかげに黄いろい花の開いたのも見える。
「ええ、ざっと見物しました。――どうです、葉巻は?」
 しかし老人は子供のようにちょいと首を振ったなり、古風な象牙《ぞうげ》の嗅煙草《かぎたばこ》入れを出した。これもどこかの博物館に並んでいたのを見た通りである。こう云う老人は日本は勿論《もちろん》、西洋にも今は一人もあるまい。佐藤春夫《さとうはるお》にでも紹介してやったら、さぞ珍重《ちんちょう》することであろう。僕は老人に話しかけた。
「町のそとへ一足《ひとあし》出ると、見渡す限りの野菜畑ですね。」
「サッサンラップ島の住民は大部分野菜を作るのです。男でも女でも野菜を作るのです。」
「そんなに需要があるものでしょうか?」
「近海の島々へ売れるのです。が、勿論売れ残らずにはいません。売れ残ったのはやむを得ず積み上げて置くのです。船の上から見えたでしょう、ざっと二万|呎《フィイト》も積み上っているのが?」
「あれがみんな売れ残ったのですか? あの野菜のピラミッドが?」
 僕は老人の顔を見たり、目ばかりぱちぱちやるほかはなかった。が、老人は不相変《あいかわらず》面白そうにひとり微笑している。
「ええ、みんな売れ残ったのです。しかもたった三年の間にあれだけの嵩《かさ》になるのですからね。古来の売れ残りを集めたとしたら、太平洋も野菜に埋《うず》まるくらいですよ。しかしサッサンラップ島の住民は未だに野菜を作っているのです。昼も夜も作っているのです。はははははは、我々のこうして話している間《あいだ》も一生懸命に作っているのです。はははははは、はははははは。」
 老人は苦しそうに笑い笑い、茉莉花《まつりか》の匂《におい》のするハンカチイフを出した。これはただの笑いではない。人間の愚《ぐ》を嘲弄《ちょうろう》する悪魔の笑いに似たものである。僕は顔をしかめながら、新しい話題を持ち出すことにした。
 僕「市《いち》はいつ立つのですか?」
 老人「毎月必ず月はじめに立ちます。しかしそれは普通の市ですね。臨時の大市《おおいち》は一年に三度、――一月と四月と九月とに立ちます。殊に一月は書入れの市ですよ。」
 僕「じゃ大市の前は大騒ぎですね?」
 老人「大騒ぎですとも。誰でも大市に間《ま》に合うように思い思いの野菜を育てるのですからね。燐酸肥料《りんさんひりょう》をやる、油滓《あぶらかす》をやる、温室へ入れる、電流を通じる、――とてもお話にはなりません。中にはまた一刻も早く育てようとあせった挙句《あげく》、せっかく大事にしている野菜を枯らしてしまうものもあるくらいです。」
 僕「ああ、そう云えば野菜畑にきょうも痩《や》せた男が一人、気違いのような顔をしたまま、『間《ま》に合わない、間に合わない』と駈けまわっていました。」
 老人「それはさもありそうですね。新年の大市も直《じき》ですから。――町にいる商人も一人《ひとり》残らず血眼《ちまなこ》になっているでしょう。」
 僕「町にいる商人と云うと?」
 老人「野菜の売買をする商人です。商人は田舎《いなか》の男女の育てた野菜畑の野菜を買う、近海の島々から来た男女はそのまた商人の野菜を買う、――と云う順序になっているのです。」
 僕「なるほど、その商人でしょう、これは肥《ふと》った男が一人、黒い鞄《かばん》をかかえながら、『困る、困る』と云っているのを見ました。――じゃ一番売れるのはどう云う種類の野菜ですか?」
 老人「それは神の意志ですね。どう云うものとも云われません。年々《ねんねん》少しずつ違うようですし、またその違う訣《わけ》もわからないようです。」
 僕「しかし善いものならば売れるでしょう?」
 老人「さあ、それもどうですかね。一体野菜の善悪は片輪《かたわ》のきめることになっているのですが、……」
 僕「どうしてまた片輪などがきめるのです?」
 老人「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。従ってまた野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越《ちょうえつ》する、公平の態度をとることが出来る、――つまり日本の諺《ことわざ》を使えば岡目八目《おかめはちもく》になる訣《わけ》ですね。」
 
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