や」に止めて置いては、御主《おんあるじ》の「ぐろおりや」(栄光)にも関《かかは》る事ゆゑ、日頃親しう致いた人々も、涙をのんで「ろおれんぞ」を追ひ払つたと申す事でござる。
その中でも哀れをとどめたは、兄弟のやうにして居つた「しめおん」の身の上ぢや。これは「ろおれんぞ」が追ひ出されると云ふ悲しさよりも、「ろおれんぞ」に欺かれたと云ふ腹立たしさが一倍故、あのいたいけな少年が、折からの凩《こがらし》が吹く中へ、しをしをと戸口を出かかつたに、傍から拳《こぶし》をふるうて、したたかその美しい顔を打つた。「ろおれんぞ」は剛力に打たれたに由つて、思はずそこへ倒れたが、やがて起きあがると、涙ぐんだ眼で、空を仰ぎながら、「御主も許させ給へ。『しめおん』は、己《おの》が仕業もわきまへぬものでござる」と、わななく声で祈つたと申す事ぢや。「しめおん」もこれには気が挫けたのでござらう。暫くは唯戸口に立つて、拳を空《くう》にふるうて居つたが、その外の「いるまん」衆も、いろいろととりないたれば、それを機会《しほ》に手を束《つか》ねて、嵐も吹き出でようず空の如く、凄《すさま》じく顔を曇らせながら、悄々《すごすご》「さんた・るちや」の門を出る「ろおれんぞ」の後姿を、貪るやうにきつと見送つて居つた。その時居合はせた奉教人衆の話を伝へ聞けば、時しも凩にゆらぐ日輪が、うなだれて歩む「ろおれんぞ」の頭のかなた、長崎の西の空に沈まうず景色であつたに由つて、あの少年のやさしい姿は、とんと一天の火焔の中に、立ちきはまつたやうに見えたと申す。
その後の「ろおれんぞ」は、「さんた・るちや」の内陣に香炉をかざした昔とは打つて変つて、町はづれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな乞食《こつじき》であつた。ましてその前身は、「ぜんちよ」の輩《ともがら》にはゑとりのやうにさげしまるる、天主の御教を奉ずるものぢや。されば町を行けば、心ない童部《わらべ》に嘲《あざけ》らるるは元より、刀杖瓦石《たうぢやうぐわせき》の難に遭《あ》うた事も、度々ござるげに聞き及んだ。いや、嘗《か》つては、長崎の町にはびこつた、恐しい熱病にとりつかれて、七日七夜の間、道ばたに伏しまろんでは、苦み悶《もだ》えたとも申す事でござる。したが、「でうす」無量無辺の御愛憐は、その都度「ろおれんぞ」が一命を救はせ給うたのみか、施物の米銭のない折々には、山の木の実
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