奉教人の死
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)齢《よはひ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)親子|眷族《けんぞく》

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たとひ三百歳の齢《よはひ》を保ち、楽しみ身に余ると云ふとも、未来永々の果しなき楽しみに比ぶれば、夢幻《ゆめまぼろし》の如し。
[#地付き]―慶長訳 Guia do Pecador―
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善の道に立ち入りたらん人は、御教《みをしへ》にこもる不可思議の甘味を覚ゆべし。
[#地付き]―慶長訳 Imitatione Christi―
[#ここで字下げ終わり、30字詰め終わり]

       一

 去《さ》んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆《ほうけうにんしゆう》が介抱し、それより伴天連《ばてれん》の憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性《すじやう》を問へば、故郷《ふるさと》は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。なれど親の代から「ぜんちよ」(異教徒)の輩《ともがら》であらなんだ事だけは、手くびにかけた青玉《あをだま》の「こんたつ」(念珠)を見ても、知れたと申す。されば伴天連はじめ、多くの「いるまん」衆(法兄弟)も、よも怪しいものではござるまいとおぼされて、ねんごろに扶持して置かれたが、その信心の堅固なは、幼いにも似ず「すぺりおれす」(長老衆)が舌を捲くばかりであつたれば、一同も「ろおれんぞ」は天童の生れがはりであらうずなど申し、いづくの生れ、たれの子とも知れぬものを、無下《むげ》にめでいつくしんで居つたげでござる。
 して又この「ろおれんぞ」は、顔かたちが玉のやうに清らかであつたに、声ざまも女のやうに優しかつたれば、一《ひと》しほ人々のあはれみを惹《ひ》いたのでござらう。中でもこの国の「いるまん」に「しめおん」と申したは、「ろおれんぞ」を弟《
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