に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。
「おん主《あるじ》、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」
 弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を呟《つぶや》き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその間《あいだ》瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩《こがらし》の渡った時、わたしの心に閃《ひらめ》いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を捉《とら》えました。
 その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは阿媽港《あまかわ》に渡っていた時、ある日本《にほん》の船頭に危《あやう》い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは奇遇《きぐう》に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば威《い》かつい肩のあたりや、指節《ゆびふし》の太い手の恰好《かっこ
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