す。同じ渡海《とかい》を渡世にしていても、北条屋は到底《とうてい》角倉《かどくら》などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室《しゃむろ》や呂宋《るそん》へ、船の一二|艘《そう》も出しているのですから、一かどの分限者《ぶげんしゃ》には違いありません。わたしは何もこの家《うち》を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、一稼《ひとかせ》ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、夜《よ》は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの寸法《すんぽう》です。わたしは路ばたの天水桶《てんすいおけ》の後《うしろ》に、網代《あじろ》の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
 世間の噂《うわさ》を聞いて御覧なさい。阿媽港甚内《あまかわじんない》は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ阿媽港《あまかわ》にいた時分、葡萄牙《ポルトガル》の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえ
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