くらい》めが! 親孝行でもしろ!」
 わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜《くや》しさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
 しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路《ゆきみち》を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代《あじろ》の笠《かさ》を仄《ほの》めかせながら、……それぎりわたしは二年の間《あいだ》、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは夜《よ》の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。
 ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ恨《うらみ》を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇《あ》った贋雲水《にせうんすい》は四十前後の小男です。が、柳町《やなぎまち》の廓《くるわ》にいたのは、まだ三十を越えていない、赧《あか》ら顔に鬚《ひげ》の生えた、浪人だと云
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