、その頃のわたしでございます。「弥三郎《やさぶろう》!」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は瘧《おこり》を病んだように、震《ふる》えているばかりでございました。
弥三郎! わたしはただ幻のように、倅《せがれ》の曝し首を眺めました。首はやや仰向《あおむ》いたまま半ば開《ひら》いた※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》の下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした訣《わけ》でございましょう? 倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかし御吟味《ごぎんみ》も受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た贋雲水《にせうんすい》は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う日限《にちげん》を一日も違《たが》えず、六千貫の金を工面《くめん》するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降
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