す。同じ渡海《とかい》を渡世にしていても、北条屋は到底《とうてい》角倉《かどくら》などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室《しゃむろ》や呂宋《るそん》へ、船の一二|艘《そう》も出しているのですから、一かどの分限者《ぶげんしゃ》には違いありません。わたしは何もこの家《うち》を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、一稼《ひとかせ》ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、夜《よ》は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの寸法《すんぽう》です。わたしは路ばたの天水桶《てんすいおけ》の後《うしろ》に、網代《あじろ》の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。
 世間の噂《うわさ》を聞いて御覧なさい。阿媽港甚内《あまかわじんない》は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ阿媽港《あまかわ》にいた時分、葡萄牙《ポルトガル》の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ね》じ切ったり、重い閂《かんぬき》を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盗みの仕方、――それも日本《にっぽん》と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。
 わたしは一ときとたたない内に、北条屋の家《うち》の中にはいっていました。が、暗い廊下《ろうか》をつき当ると、驚いた事にはこの夜更《よふ》けにも、まだ火影《ほかげ》のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの容子《ようす》では、どうしても茶室に違いありません。「凩《こがらし》の茶か」――わたしはそう苦笑《くしょう》しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の邪魔《じゃま》を思うよりも、数寄《すき》を凝らした囲いの中に、この家《や》の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が惹《ひ》かれたのです。
 襖《ふすま》の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、釜《かま》のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも
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