。」と云う。
 幕の上では、妙だよ。幕の中でと云うなら、わかっているがね。そこでいろいろ聞いて見ると、その恋人なるものは、活動写真に映る西洋の曾我《そが》の家《や》なんだそうだ。これには、僕も驚いたよ。成程《なるほど》幕の上でには、ちがいない。
 ほかの連中は、悪い落《おち》だと思ったらしい。中には、「へん、いやにおひゃらかしやがる。」なんて云った人もある。船着だから、人気《にんき》が荒いんだ。が、見たところ、どうもお徳が嘘をついているとも思われない。もっとも眼は大分《だいぶ》とろんこだったがね。
「毎日行きたくっても、そうはお小遣《こづか》いがつづかないでしょう。だから私、やっと一週に一ぺんずつ行って見たんです。」――これはいいが、その後《あと》が振っている。「一度なんか、阿母《おっか》さんにねだってやっとやって貰うと、満員で横の隅の所にしか、はいれないんでしょう。そうすると、折角その人の顔が映っても、妙に平べったくしか見えないんでしょう。私、かなしくって、かなしくって。」――前掛《まえかけ》を顔へあてて、泣いたって云うんだがね。そりゃ恋人の顔が、幕なりにぺちゃんこに見えちゃ、かなし
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