あ私の片恋って云うようなもの」なんだからね。精々そのつもりで、聞いてくれ給え。
お徳の惚れた男と云うのは、役者でね。あいつがまだ浅草|田原町《たわらまち》の親の家にいた時分に、公園で見初《みそ》めたんだそうだ。こう云うと、君は宮戸座《みやとざ》か常盤座《ときわざ》の馬の足だと思うだろう。ところがそうじゃない。そもそも、日本人だと思うのが間違いなんだ。毛唐《けとう》の役者でね。何でも半道《はんどう》だと云うんだから、笑わせる。
その癖、お徳はその男の名前も知らなければ、居所《いどころ》も知らない。それ所か、国籍さえわからないんだ。女房持か、独り者か――そんな事は勿論、尋《き》くだけ、野暮《やぼ》さ。可笑しいだろう。いくら片恋だって、あんまり莫迦《ばか》げている。僕たちが若竹へ通った時分だって、よしんば語り物は知らなかろうが、先方は日本人で、芸名|昇菊《しょうぎく》くらいな事は心得ていたもんだ。――そう云って、僕がからかったら、お徳の奴、むきになって、「そりゃ私だって、知りたかったんです。だけど、わからないんだから、仕方がないじゃありませんか。何《なん》しろ幕の上で遇うだけなんですもの。」と云う。
幕の上では、妙だよ。幕の中でと云うなら、わかっているがね。そこでいろいろ聞いて見ると、その恋人なるものは、活動写真に映る西洋の曾我《そが》の家《や》なんだそうだ。これには、僕も驚いたよ。成程《なるほど》幕の上でには、ちがいない。
ほかの連中は、悪い落《おち》だと思ったらしい。中には、「へん、いやにおひゃらかしやがる。」なんて云った人もある。船着だから、人気《にんき》が荒いんだ。が、見たところ、どうもお徳が嘘をついているとも思われない。もっとも眼は大分《だいぶ》とろんこだったがね。
「毎日行きたくっても、そうはお小遣《こづか》いがつづかないでしょう。だから私、やっと一週に一ぺんずつ行って見たんです。」――これはいいが、その後《あと》が振っている。「一度なんか、阿母《おっか》さんにねだってやっとやって貰うと、満員で横の隅の所にしか、はいれないんでしょう。そうすると、折角その人の顔が映っても、妙に平べったくしか見えないんでしょう。私、かなしくって、かなしくって。」――前掛《まえかけ》を顔へあてて、泣いたって云うんだがね。そりゃ恋人の顔が、幕なりにぺちゃんこに見えちゃ、かなし
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