、参考する書物を持つてゐない。が、宝暦明和の昔はざつと米一石に銀六十匁位の相場である。仮に金一両を銀四十匁位に考へた上、米価を標準に換算すれば、当時の一年に三十両は僅かに今日の千円未満であらう。尤もこれは当推量以上に信用の出来る計算ではない。)
「宝暦六年余廿一歳、森氏を娶《めと》る。生質微弱にして余が多病を給するに堪へず。況や十年を歴《ふ》と雖《いへど》も、一子を産せず。故に家母甚だこれを愁ふ。明和二年家人に命じ、山中氏の女を娶《めと》り、給仕せしむ。(中略)三年を経て妻森氏明和五年冬一女を産す。又明和八年一女を産す。妾山中氏より妻の微質を助け、二女を憐愛す、故に妻妾《さいせふ》反更《はんかう》和好《わかう》にして嫌悪の事なし。」
 倹素に安んじた巽斎の偏愛を避けたのは勿論である。恐らくは妻妾の妬忌《とき》しなかつたのも貞淑の為ばかりではなかつたであらう。
「余弱冠より壮歳の頃まで、詩文を精究す。応酬の多に因つて贈答に労倦《らうけん》す。況や才拙にして敏捷《びんせふ》なること能はず。大に我が胸懐に快ならず。交誼に親疎あり。幸に不才に托し、限つて作為せば、偶興の到にあひ、佳句を得て快楽の事とす。」
 詩文は巽斎の愛する所である。しかも巽斎はその詩文にさへ、妄《みだり》に才力を弄《ろう》さうとしない。たとひ応酬の義理は欠いても、唯好句の※[#「口+荅」、第4水準2−4−16]然《とうぜん》と懐に入る至楽を守つてゐる。かう云ふ態度の窺はれるのは何も上に挙げた数節ばかりではない。巽斎の一生を支配するものは実にこの微妙なる節制である。この己を抑へると共に己を恣にした手綱加減である。蒹葭堂主人の清福のうちに六十年の生涯を了したのも偶然ではないと言はなければならぬ。
 前にも度たび挙げた春山図は老木や巨巌の横はつた奥へ一条の幽径を通じてゐる。その幽径の窮《きは》まる処は百年の雪に埋もれた無人の峰々に違ひない。天才と世に呼ばれるものはそれ等の峰々へ攀《よ》づることを辞せない勇往果敢の孤客である。百年の雪を踏破することは勿論千古の大業であらう。が、崕花《がいくわ》の発したのを見、澗水《かんすゐ》の鳴るのを聞きながら、雲と共に徂来するのもやはり一生の快事である。僕の愛する蒹葭堂主人はこの寂寞たる春山に唯一人驢馬を歩ませて行つた。春山図の逸趣に富んでゐるのも素《もと》より怪しむに足りないかも知れない。…………



底本:「芥川龍之介全集 第十一巻」岩波書店
   1996(平成8)年9月9日発行
初出:広告、斎藤茂吉「女性改造 第三巻第三号」
   1924(大正13)年3月1日発行
   岩見重太郎「女性改造 第三巻第四号」
   1924(大正13)年4月1日発行
   木村巽斎「女性改造 第三巻第八号、第三巻第九号」
   1924(大正13)年8月1日、9月1日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:土屋隆
2008年12月9日作成
2009年12月10日修正
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