ばならぬ。或は脳髄を具へてゐると共に、神経を具へてゐなければならぬ。果然古来のディレツタントは多少の学者であると共に、多少の芸術家であるのを常としてゐた。物産の学を究めると共に、画道に志した巽斎も正にかう云ふ一人である。微妙にものを考へると共に、微妙にものを感ずる蘆、――さう言へば巽斎は不思議にも蒹葭堂主人と号してゐた!
 しかし棘《とげ》のない薔薇はあつても、受苦を伴はない享楽はない。微妙にものを考へると共に、微妙にものを感ずる蘆は即ち微妙に苦しむ蘆である。この故に聡明なるディレツタントは地獄の業火を免れる為に、天堂の荘厳を捨てなければならぬ。更に手短かに言ひ換へれば、あらゆる悪徹底を避けなければならぬ。無邪気なる英雄崇拝者は勿論かう云ふディレツタントの態度を微温底とか何とか嘲るであらう。けれども微温底に住するの可否は享楽的態度の可否である。享楽的態度を否定するのは、――古来如何なる哲学と雖も、人生の使命を闡明《せんめい》するのに成功しなかつたことは事実である。昔はその不可なるを知つて、しかも仁《じん》を説いた孔丘さへ微温底なる中庸を愛してゐた。今はカフエに出没する以外に一事を成就し
前へ 次へ
全43ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング