ツの下に一匹の蚤でも感じたが最後、たとひ坂田藤十郎の演ずる「藤十郎の恋」を見せられたにしろ、到底安閑と舞台の上へ目などを注いでゐる余裕はない。況《いはん》や胃嚢を押し浸した酸はあらゆる享楽を不可能にしてゐた。のみならず当時の陳列品には余り傑作も見えなかつたらしい。僕はまづ仏画から、陶器、仏像、古墨蹟と順々に悪作を発見して行つた。殊に※[#「龍/共」、第3水準1−94−87]半千《きようはんせん》か何かの掛物に太い字のべたべた並んでゐるのは殆ど我々胃病患者に自殺の誘惑を与へる為、筆を揮《ふる》つたものとしか思はれなかつた。
 その内に僕の迷ひこんだのは南画ばかりぶら下げた陳列室である。この室も一体にくだらなかつた。第一に鉄翁の山巒は軽石のやうに垢じみてゐる。第二に藤本鉄石《ふぢもとてつせき》の樹木は錆ナイフのやうに殺気立つてゐる。第三に浦上玉堂《うらがみぎよくだう》の瀑布《ばくふ》は琉球泡盛《りうきうあわもり》のやうに煮え返つてゐる。第四に――兎に角南画と云ふ南画は大抵僕の神経を苛《いら》いらさせるものばかりだつた。僕は顔をしかめながら、大きい硝子戸棚の並んだ中を殉教者のやうに歩いて行つ
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