文放古
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)文放古《ふみほご》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|親戚《しんせき》などから

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]
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 これは日比谷公園のベンチの下に落ちていた西洋紙に何枚かの文放古《ふみほご》である。わたしはこの文放古を拾った時、わたし自身のポケットから落ちたものとばかり思っていた。が、後《のち》に出して見ると、誰か若い女へよこした、やはり誰か若い女の手紙だったことを発見した。わたしのこう云う文放古に好奇心を感じたのは勿論《もちろん》である。のみならず偶然目についた箇所は余人は知らずわたし自身には見逃しのならぬ一行《いちぎょう》だった。――
「芥川龍之介と来た日には大莫迦《おおばか》だわ。」!
 わたしはある批評家の云ったように、わたしの「作家的完成を棒にふるほど懐疑的《かいぎてき》」である。就中《なかんずく》わたし自身の愚には誰よりも一層《いっそう》懐疑的である。「芥川龍之介と来た日には大莫迦《おおばか》だわ!」何と云うお転婆《てんば》らしい放言であろう。わたしは心頭に発した怒火を一生懸命に抑《おさ》えながら、とにかく一応《いちおう》は彼女の論拠に点検を加えようと決心した。下《しも》に掲《かか》げるのはこの文放古を一字も改めずに写したものである。

「……あたしの生活の退屈《たいくつ》さ加減はお話にも何にもならないくらいよ。何しろ九州の片田舎《かたいなか》でしょう。芝居はなし、展覧会はなし、(あなたは春陽会《しゅんようかい》へいらしって? 入《い》らしったら、今度知らせて頂戴《ちょうだい》。あたしは何だか去年よりもずっと好《よ》さそうな気がしているの)音楽会はなし、講演会はなし、どこへ行って見るってところもない始末なのよ。おまけにこの市《まち》の智識階級はやっと徳富蘆花《とくとみろか》程度なのね。きのうも女学校の時のお友達に会ったら、今時分やっと有島武郎《ありしまたけお》を発見した話をするんじゃないの? そりゃあなた、情《なさけ》ないものよ。だからあたしも世間並《せけんな》みに、裁縫《さいほう》をしたり、割烹《かっぽう》をやったり、妹の使うオルガンを弾《ひ》いたり、一度読んだ本を読み返したり、家《うち》にばかりぼんやり暮らしているの。まああなたの言葉を借りればアンニュイそれ自身のような生活だわね。
「それだけならばまだ好《い》いでしょう。そこへまた時々|親戚《しんせき》などから結婚問題を持って来るのよ。やれ県会議員の長男だとか、やれ鉱山《やま》持ちの甥《おい》だとか、写真ばかりももう十枚ばかり見たわ。そうそう、その中には東京に出ている中川の息子の写真もあってよ。いつかあなたに教えて上げたでしょう。あのカフェの女給《じょきゅう》か何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才で通《とお》っているのよ。好《い》い加減《かげん》人を莫迦《ばか》にしているじゃないの? だからあたしはそう云ってやるのよ。『あたしも結婚しないとは云いません。けれども結婚する時には誰の評価を信頼するよりも先にあたし自身の評価を信頼します。その代りに将来の幸不幸はあたし一人責任を負いますから』って。
「けれどももう来年になれば、弟も商大を卒業するし、妹も女学校の四年になるでしょう。それやこれやを考えて見ると、あたし一人結婚しないってことはどうもちょっとむずかしいらしいの。東京じゃそんなことは何でもないのね。それをこの市《まち》じゃ理解もなしに、さも弟だの妹だのの結婚を邪魔《じゃま》でもするために片づかずにいるように考えるんでしょう。そう云う悪口《わるくち》を云われるのはずいぶんあなた、たまらないものよ。
「そりゃあたしはあなたのようにピアノを教えることも出来ないんだし、いずれは結婚するほかに仕かたのないことも知っているわ。けれどもどう云う男とでも結婚する訣《わけ》には行《ゆ》かないじゃないの? それをこの市じゃ何かと云うと、『理想の高い』せいにしてしまうのよ。『理想の高い』! 理想って言葉にさえ気の毒だわね。この市じゃ夫の候補者《こうほしゃ》のほかには理想って言葉を使わないんですもの。そのまた候補者の御立派《ごりっぱ》なことったら! そりゃあなたに見せたいくらいよ。ちょっと一例を挙げて見ましょうか? 県会議員の長男は銀行か何かへ出ているのよ。それが大《だい》のピュリタンなの。ピュリタンなのは好《い》いけれども、お屠蘇《とそ》も碌《ろく》に飲めない癖に、禁酒会の幹事をしているんですって。もともと下戸《
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