たん》はやめにして上げるわ。……
「それでも日本の小説家の無力さ加減だけは攻撃させて頂戴《ちょうだい》。あたしはこう云う結婚難を解決する道を求めながら、一度読んだ本を読み返して見たの。けれどもあたしたちの代弁者《だいべんしゃ》は※[#「言+虚」、第4水準2−88−74]《うそ》のように一人もいないじゃないの? 倉田百三《くらたひゃくぞう》、菊池寛《きくちかん》、久米正雄《くめまさお》、武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》、里見※[#「弓+椁のつくり」、第3水準1−84−22]《さとみとん》、佐藤春夫《さとうはるお》、吉田絃二郎《よしだげんじろう》、野上弥生《のがみやよい》、――一人残らず盲目《めくら》なのよ。そう云う人たちはまだ好《い》いとしても、芥川龍之介と来た日には大莫迦《おおばか》だわ。あなたは『六《ろく》の宮《みや》の姫君』って短篇を読んではいらっしゃらなくって? (作者曰く、京伝三馬《きょうでんさんば》の伝統に忠実ならんと欲するわたしはこの機会に広告を加えなければならぬ。『六の宮の姫君』は短篇集『春服《しゅんぷく》』に収められている。発行|書肆《しょし》は東京|春陽堂《しゅんようどう》である)作者はその短篇の中に意気地《いくじ》のないお姫様《ひめさま》を罵《ののし》っているの。まあ熱烈に意志しないものは罪人よりも卑《いや》しいと云うらしいのね。だって自活に縁のない教育を受けたあたしたちはどのくらい熱烈に意志したにしろ、実行する手段はないんでしょう。お姫様もきっとそうだったと思うわ。それを得意そうに罵《ののし》ったりするのは作者の不見識《ふけんしき》を示すものじゃないの? あたしはその短篇を読んだ時ほど、芥川龍之介を軽蔑《けいべつ》したことはないわ。……」
この手紙を書いたどこかの女は一知半解《いっちはんかい》のセンティメンタリストである。こう云う述懐《じゅっかい》をしているよりも、タイピストの学校へはいるために駆落《かけお》ちを試みるに越したことはない。わたしは大莫迦《おおばか》と云われた代りに、勿論《もちろん》彼女を軽蔑した。しかしまた何か同情に似た心もちを感じたのも事実である。彼女は不平を重ねながら、しまいにはやはり電燈会社の技師か何かと結婚するであろう。結婚した後《のち》はいつのまにか世間並《せけんな》みの細君に変るであろう。浪花節《なにわぶし》にも耳を傾けるであろう。最勝寺《さいしょうじ》の塔も忘れるであろう。豚《ぶた》のように子供を産《う》みつづけ――わたしは机の抽斗《ひきだし》の奥へばたりとこの文放古《ふみほご》を抛《ほう》りこんだ。そこにはわたし自身の夢も、古い何本かの手紙と一しょにそろそろもう色を黄ばませている。……
[#地から1字上げ](大正十三年四月)
底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月8日公開
2004年3月7日修正
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