的良心を抛擲《ほうてき》した。
「資性《しせい》穎悟《えいご》と兄弟《けいてい》に友《ゆう》にですね。じゃどうにかこじつけましょう。」
「どうかよろしくお願いします。」
大佐に別れた保吉は喫煙室へ顔を出さずに、誰も人のいない教官室へ帰った。十一月の日の光はちょうど窓を右にした保吉の机を照らしている。彼はその前へ腰をおろし、一本のバットへ火を移した。弔辞はもう今日までに二つばかり作っている。最初の弔辞は盲腸炎《もうちょうえん》になった重野少尉《しげのしょうい》のために書いたものだった。当時学校へ来たばかりの彼は重野少尉とはどう云う人か、顔さえはっきりした記憶はなかった。しかし弔辞の処女作には多少の興味を持っていたから、「悠々たるかな、白雲《はくうん》」などと唐宋八家文《とうそうはっかぶん》じみた文章を草《そう》した。その次のは不慮《ふりょ》の溺死《できし》を遂げた木村大尉《きむらたいい》のために書いたものだった。これも木村大尉その人とは毎日同じ避暑地からこの学校の所在地へ汽車の往復を共にしていたため、素直に哀悼《あいとう》の情を表することが出来た。が、今度の本多少佐はただ食堂へ出る度に
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