う》大股《おおまた》に中尉の側へ歩み寄った。中尉はきょうも葬式よりは婚礼の供にでも立ったように欣々《きんきん》と保吉へ話しかけた。
「好《い》い天気ですなあ。……あなたは今葬列に加わられたんですか?」
「いや、ずっと後《うし》ろにいたんです。」
 保吉はさっきの顛末《てんまつ》を話した。中尉は勿論葬式の威厳を傷《きずつ》けるかと思うほど笑い出した。
「始めてですか、葬式に来られたのは?」
「いや、重野少尉の時にも、木村大尉の時にも出て来たはずです。」
「そう云う時にはどうされたですか?」
「勿論校長や科長よりもずっとあとについていたんでしょう。」
「そりゃどうも、――大将格になった訣《わけ》ですな。」
 葬列はもう寺に近い場末《ばすえ》の町にはいっている。保吉は中尉と話しながら、葬式を見に出た人々にも目をやることを忘れなかった。この町の人々は子供の時から無数の葬式を見ているため、葬式の費用を見積《みつも》ることに異常の才能を生じている。現に夏休みの一日前に数学を教える桐山《きりやま》教官のお父さんの葬列の通った時にも、ある家の軒下《のきした》に佇《たたず》んだ甚平《じんべい》一つの老人などは渋団扇《しぶうちわ》を額《ひたい》へかざしたまま、「ははあ、十五円の葬《とむら》いだな」と云った。きょうも、――きょうは生憎《あいにく》あの時のように誰もその才能を発揮しない。が、大本教《おおもときょう》の神主《かんぬし》が一人、彼自身の子供らしい白《しら》っ子《こ》を肩車《かたぐるま》にしていたのは今日《こんにち》思い出しても奇観である。保吉はいつかこの町の人々を「葬式」とか何とか云う短篇の中に書いて見たいと思ったりした。
「今月は何とかほろ[#「ほろ」に傍点]上人《しょうにん》と云う小説をお書きですな。」
 愛想の好《い》い田中中尉はしっきりなしに舌をそよがせている。
「あの批評が出ていましたぜ。けさの時事《じじ》、――いや、読売《よみうり》でした。後《のち》ほど御覧に入れましょう。外套《がいとう》のポケットにはいっていますから。」
「いや、それには及びません。」
「あなたは批評をやられんようですな。わたしはまた批評だけは書いて見たいと思っているんです。例えばシェクスピイアのハムレットですね。あのハムレットの性格などは……」
 保吉はたちまち大悟《たいご》した。天下に批評家の充満しているのは必ずしも偶然ではなかったのである。
 葬列はとうとう寺の門へはいった。寺は後ろの松林の間に凪《な》いだ海を見下《みおろ》している。ふだんは定めし閑静であろう。が、今は門の中は葬列の先に立って来た学校の生徒に埋《うず》められている。保吉は庫裡《くり》の玄関に新しいエナメルの靴《くつ》を脱《ぬ》ぎ、日当りの好《い》い長廊下《ながろうか》を畳ばかり新しい会葬者席へ通った。
 会葬者席の向う側は親族席になっている。そこの上座に坐っているのは本多少佐のお父さんであろう。やはり禿《は》げ鷹《たか》に似た顔はすっかり頭の白いだけに、令息よりも一層|慓悍《ひょうかん》である。その次に坐っている大学生は勿論弟に違いあるまい。三番目のは妹にしては器量《きりょう》の好過ぎる娘さんである。四番目のは――とにかく四番目以後の人にはこれと云う特色もなかったらしい。こちら側《がわ》の会葬者席にはまず校長が坐っている。その次には科長が坐っている。保吉はちょうど科長のま後ろ、――会葬者席の二列目にズボンの尻《しり》を据《す》えることにした。と云っても科長や校長のようにちゃんと膝《ひざ》を揃えたのではない。容易に痺《しび》れの切れないように大胡坐《おおあぐら》をかいてしまったのである。
 読経《どきょう》は直《すぐ》にはじまった。保吉は新内《しんない》を愛するように諸宗の読経をも愛している。が、東京|乃至《ないし》東京近在の寺は不幸にも読経の上にさえたいていは堕落《だらく》を示しているらしい。昔は金峯山《きんぷせん》の蔵王《ざおう》をはじめ、熊野《くまの》の権現《ごんげん》、住吉《すみよし》の明神《みょうじん》なども道明阿闍梨《どうみょうあざり》の読経を聴きに法輪寺《ほうりんじ》の庭へ集まったそうである。しかしそう云う微妙音《びみょうおん》はアメリカ文明の渡来と共に、永久に穢土《えど》をあとにしてしまった。今も四人の所化《しょけ》は勿論、近眼鏡《きんがんきょう》をかけた住職は国定教科書を諳誦《あんしょう》するように提婆品《だいばぼん》か何かを読み上げている。
 その中《うち》に読経《どきょう》の切れ目へ来ると、校長の佐佐木中将はおもむろに少佐の寝棺《ねがん》の前へ進んだ。白い綸子《りんず》に蔽《おお》われた棺《かん》はちょうど須弥壇《しゅみだん》を正面にして本堂の入り口に安置してある。
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