文章
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)弔辞《ちょうじ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)きのうの朝|歿《な》くなられたです
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]
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「堀川さん。弔辞《ちょうじ》を一つ作ってくれませんか? 土曜日に本多少佐の葬式がある、――その時に校長の読まれるのですが、……」
藤田大佐は食堂を出しなにこう保吉《やすきち》へ話しかけた。堀川保吉はこの学校の生徒に英吉利《イギリス》語の訳読を教えている。が、授業の合《あ》い間《ま》には弔辞を作ったり、教科書を編《あ》んだり、御前《ごぜん》講演の添削《てんさく》をしたり、外国の新聞記事を翻訳《ほんやく》したり、――そう云うことも時々はやらなければならぬ。そう云うことをまた云いつけるのはいつもこの藤田大佐である。大佐はやっと四十くらいであろう。色の浅黒い、肉の落ちた、神経質らしい顔をしている。保吉は大佐よりも一足《ひとあし》あとに薄暗い廊下《ろうか》を歩みながら、思わず「おや」と云う声を出した。
「本多少佐は死なれたんですか?」
大佐も「おや」と云うように保吉の顔をふり返った。保吉はきのうずる休みをしたため、本多少佐の頓死《とんし》を伝えた通告書を見ずにしまったのである。
「きのうの朝|歿《な》くなられたです。脳溢血《のういっけつ》だと云うことですが、……じゃ金曜日までに作って来て下さい。ちょうどあさっての朝までにですね。」
「ええ、作ることは作りますが、……」
悟《さと》りの早い藤田大佐はたちまち保吉の先まわりをした。
「弔辞を作られる参考には、後ほど履歴書《りれきしょ》をおとどけしましょう。」
「しかしどう云う人だったでしょう? 僕はただ本多少佐の顔だけ見覚えているくらいなんですが、……」
「さあ、兄弟思いの人だったですね。それからと……それからいつもクラス・ヘッドだった人です。あとはどうか名筆を揮《ふる》って置いて下さい。」
二人はもう黄色《きいろ》に塗《ぬ》った科長室の扉《ドア》の前に立っていた。藤田大佐は科長と呼ばれる副校長の役をしているのである。保吉はやむを得ず弔辞に関する芸術
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