的良心を抛擲《ほうてき》した。
「資性《しせい》穎悟《えいご》と兄弟《けいてい》に友《ゆう》にですね。じゃどうにかこじつけましょう。」
「どうかよろしくお願いします。」
大佐に別れた保吉は喫煙室へ顔を出さずに、誰も人のいない教官室へ帰った。十一月の日の光はちょうど窓を右にした保吉の机を照らしている。彼はその前へ腰をおろし、一本のバットへ火を移した。弔辞はもう今日までに二つばかり作っている。最初の弔辞は盲腸炎《もうちょうえん》になった重野少尉《しげのしょうい》のために書いたものだった。当時学校へ来たばかりの彼は重野少尉とはどう云う人か、顔さえはっきりした記憶はなかった。しかし弔辞の処女作には多少の興味を持っていたから、「悠々たるかな、白雲《はくうん》」などと唐宋八家文《とうそうはっかぶん》じみた文章を草《そう》した。その次のは不慮《ふりょ》の溺死《できし》を遂げた木村大尉《きむらたいい》のために書いたものだった。これも木村大尉その人とは毎日同じ避暑地からこの学校の所在地へ汽車の往復を共にしていたため、素直に哀悼《あいとう》の情を表することが出来た。が、今度の本多少佐はただ食堂へ出る度に、禿《は》げ鷹《たか》に似た顔を見かけただけである。のみならず弔辞を作ることには興味も何も持っていない。云わば現在の堀川保吉は註文を受けた葬儀社である。何月何日の何時までに竜燈《りゅうとう》や造花を持って来いと云われた精神生活上の葬儀社である。――保吉はバットを啣《くわ》えたまま、だんだん憂鬱になりはじめた。……
「堀川教官。」
保吉は夢からさめたように、机の側に立った田中中尉を見上げた。田中中尉は口髭《くちひげ》の短い、まろまろと顋《あご》の二重になった、愛敬《あいきょう》のある顔の持主である。
「これは本多少佐の履歴書だそうです。科長から今堀川教官へお渡ししてくれと云うことでしたから。」
田中中尉は机の上へ罫紙《けいし》を何枚も綴《と》じたのを出した。保吉は「はあ」と答えたぎり、茫然と罫紙へ目を落した。罫紙には叙任《じょにん》の年月ばかり細かい楷書《かいしょ》を並べている。これはただの履歴書ではない。文官と云わず武官と云わず、あらゆる天下の官吏なるものの一生を暗示する象徴である。……
「それから一つ伺いたい言葉があるのですが、――いや、海上用語じゃありません。小説の中にあった言
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング