文章と言葉と
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)凝《こ》りすぎる
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五十年|前《ぜん》の
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文章
僕に「文章に凝《こ》りすぎる。さう凝《こ》るな」といふ友だちがある。僕は別段必要以上に文章に凝つた覚えはない。文章は何よりもはつきり書きたい。頭の中にあるものをはつきり文章に現したい。僕は只《ただ》それだけを心がけてゐる。それだけでもペンを持つて見ると、滅多《めつた》にすらすら行つたことはない。必ずごたごたした文章を書いてゐる。僕の文章上の苦心といふのは(もし苦心といひ得るとすれば)そこをはつきりさせるだけである。他人の文章に対する注文も僕自身に対するのと同じことである。はつきりしない文章にはどうしても感心することは出来ない。少くとも好きになることは出来ない。つまり僕は文章上のアポロ主義を奉ずるものである。
僕は誰に何《なん》といはれても、方解石《はうかいせき》のやうにはつきりした、曖昧《あいまい》を許さぬ文章を書きたい。
言葉
五十年|前《ぜん》の日本人は「神
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