りはしないであらう。しかしカルマはその為に少しも脅威を失つたのではない。カアネギイのエネルギイを生んだものはカアネギイの背負つて来たカルマである。僕等は皆僕等のカルマの為に頭を下げる外はないであらう。若し僕等に、――少くとも僕に「あきらめ」の天恵の下るとすれば、それは唯ここにだけある訣である。
 僕等は皆多少の「生活者」である。従つて逞ましい「生活者」にはおのづから敬意を生ずるものである。即ち僕等の永遠の偶像は戦闘の神マルスに帰らざるを得ない。カアネギイは暫く問はず、ニイチエの「超人」も一皮|剥《は》いで見れば、実にこのマルスの転身だつた。ニイチエのセザアル・ボルヂアにも讃嘆の声を洩らしたのは偶然ではない。正宗白鳥氏は「光秀と紹巴《せうは》」の中に「生活者」中の「生活者」だつた光秀に紹巴を嘲《あざけ》らせてゐる。(かう云ふ正宗白鳥氏の「人生の従軍記者」と呼ばれるのは正に逆説的であると云はなければならぬ。)これは一光秀の嘲笑ではない。僕等は何も考へずにいつもかう云ふ嘲笑を放つてゐるのである。
 僕等の悲劇は、――或は喜劇はこの「人生の従軍記者」にとどまり難いことに潜んでゐる。しかも僕等「
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