家たちは佐藤氏の言ふやうに疲れてゐるのに違ひない。(尤も「僕は疲れてゐない」と主張する作家は例外である。)或は休みない制作の為に、(世界に日本の文壇ほど濫作《らんさく》を強ひる所はない。)或は又身辺の雑事の為に、或は又争ひ難い年齢の為に、或は又、――事情はいろいろ変つてゐるにしても、兎に角多少は疲れてゐるであらう。現に紅毛の作家たちの中にも晩年には批評のペンを執つて閑を潰《つぶ》したものも少くはなかつた。……
佐藤氏はこの批評時代に一層根本的なものに触れることを必要であると力説してゐる。三宅氏の「第一義的の批評」を要求するのも恐らくは佐藤氏と大差ないであらう。僕も亦各人の批評のペンにも血の滴《したた》ることを望んでゐる。何を批評上では第一義的とするか?――それは各人各説かも知れない。その又各人各説であることに所謂「真の批評」の出現する事実上の困難はあるのかも知れない。しかし僕等は各人各説でも兎に角僕等の信条や疑問を叩きつける外はないのである。現に正宗白鳥氏は「文芸評論」や「ダンテに就いて」の中に立派にかう云ふ仕事をした。正宗氏の議論は批評的に多少の欠点を数へ得るかも知れない。しかし後
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