谷崎潤一郎氏に答ふ

 次に僕は谷崎潤一郎氏の議論に答へる責任を持つてゐる。尤もこの答の一半は(一)[#「(一)」は縦中横]の中にもないことはない。が、「凡《およ》そ文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説である」と云ふ谷崎氏の言には不服である。どう云ふ文芸も、――僅々《きんきん》十七字の発句《ほつく》さへ「構造的美観」を持たないことはない。しかしかう云ふ論法を進めることは谷崎氏の言を曲解するものである。とは言へ「凡そ文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るもの」は小説よりも寧《むし》ろ戯曲であらう。勿論最も戯曲らしい小説は小説らしい戯曲よりも「構成的美観」を欠いてゐるかも知れない。しかし戯曲は小説よりも大体「構成的美観」に豊かである。――それも亦実は議論上の枝葉に過ぎない。兎《と》に角《かく》小説と云ふ文芸上の形式は「最も」か否かを暫く措《お》き、「構成的美観」に富んでゐるであらう。なほ又谷崎氏の言ふやうに「筋の面白さを除外するのは、小説と云ふ形式が持つ特権を捨ててしまふ」と云ふことも考へられるのに違ひない。が、この問題に対する答は(一)[#「(一)」は縦中横]の中に書い
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