ある。
 かう云ふ伝統を持つた代作は或は今後は行はれるかも知れない。のみならずそれは必ずしも一時代の芸術を俗悪にするとも限らないのである。弟子はテクニイクを修《をさ》めた後、勿論独立しても差支ない。が、或は二代目、三代目と襲名《しふめい》することも出来るであらう。
 僕はまだ不幸にも代作して貰ふ機会を持つてゐない。が、他人の作品を代作出来る自信は持つてゐる。唯一つむづかしいことには他人の作品を代作するのは自作するよりも手間どるに違ひない。

     二十五 川柳

「川柳《せんりう》」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。古い川柳の発句《ほつく》に近いことは或は誰も知つてゐるかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる。その最も著しい例は「鶉衣《うづらごろも》」(?)の初板にある横井|也有《やいう》の連句であらう。あの連句はポルノグラフイツクな川柳集――「末摘花《すゑつむはな》」と選ぶ所はない。
[#ここから2字下げ]

前へ 次へ
全110ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング