者であらう。しかし又一面にはやはり逞《たくま》しい写実主義者である。「小春治兵衛」の河内屋《かはちや》から鴈治郎《がんぢらう》の姿を抹殺せよ。(この為には文楽を見ることである。)そのあとに残るものは何でもない、人生の隅々へ目の届いた写実主義的戯曲である。成程そこには元禄時代の抒情詩もまじつてゐるのに違ひない。が、この抒情詩を持つてゐるものをロマン主義者と呼ぶとすれば、――ド・リイル・ラダンの言葉に偽りはない。僕等は阿呆でないとすれば、いづれもロマン主義者になる訣である。
 元禄時代の戯曲的手法は今日よりも多少自然ではない。しかし元禄時代以後の戯曲的手法よりもはるかに小細工を用ひないものである。かう云ふ手法に煩《わづら》はされないとすれば、「小春治兵衛」は心理描写の上には決して写実主義を離れてゐない。近松は彼等の官能主義やイゴイズムにも目を注いでゐる。いや、彼等の中にある何か不思議なものにも目につけてゐる。彼等を死に導いたものは必ずしも太兵衛《たへゑ》の悪意ではない。おさん親子の善意も亦やはり彼等を苦しませてゐる。
 近松は度々日本のシエクスピイアに比せられてゐる。それは在来の諸家の説よ
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