曲」の浄罪界は病後の歓びに近いものを持つてゐる。……
しかしそれ等はダンテの皮下一寸に及ばないことばかりであらう。正宗氏はあの論文の中にダンテの骨肉を味はつてゐる。あの論文の中にあるのは十三世紀でもなければ伊太利《イタリイ》でもない。唯僕等のゐる娑婆《しやば》界である。平和を、唯平和を、――これはダンテの願ひだつたばかりではない。同時に又ストリントベリイの願ひだつた。僕は正宗氏のダンテを仰がずに[#「仰がずに」に傍点]ダンテを見た[#「見た」に傍点]ことを愛してゐる。ベアトリチエは正宗氏の言ふやうに女人よりもはるかに天人に近い。若しダンテを読んだ後、目《ま》のあたりにベアトリチエに会つたとしたならば、僕等は必ず失望するであらう。
僕はこの文章を書いてゐるうちにふとゲエテのことを思ひ出した。ゲエテの描いたフリイデリケは殆ど可憐《かれん》そのものである。が、ボンの大学教授ネエケはフリイデリケの必しもさう云ふ女人でないことを発表した。〔Du:ntzer〕 等の理想主義者たちは勿論この事実を信じてゐない。しかしゲエテ自身もネエケの言葉の偽《いつは》りでないことを認めてゐる。のみならずフリイ
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