英吉利《イギリス》訳によつたのである。ケエリイの英吉利訳によりながら、ダンテの「美しさ」を云々《うんぬん》するのは或は滑稽に堕ちるのであらう。(僕も亦ケエリイの外は読んだことはない。)しかしダンテの「美しさ」はたとひケエリイの英吉利訳だけ読んでも、幾分か感ぜられるのは確かである。……
それから又「神曲」は一面には晩年のダンテの自己弁護である。公金費消か何かの嫌疑《けんぎ》を受けたダンテはやはり僕等自身のやうに自己弁護を必要としたのに違ひない。しかしダンテの達した天国は僕には多少退屈である。それは僕等は事実上地獄を歩いてゐる為であらうか? 或は又ダンテも浄罪界の外に登ることの出来なかつた為であらうか?……
僕等は皆超人ではない。あの逞《たくま》しいロダンさへ名高いバルザツクの像を作り、世間の悪評を受けた時には神経的に苦しんだのである。故郷を追はれたダンテも亦神経的に苦しんだのに違ひない。殊に死後には幽霊になり、彼の息子に現れたと云ふことは幾分かダンテの体質を――彼の息子に遺伝したダンテの体質を示してゐるであらう。ダンテは実際ストリントベリイのやうに地獄の底から脱け出して来た。現に「神
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