手《ついで》に田舎の話を引けば、今度はカンヌから書いた書簡に、――
 グラツスに近い或農夫が一人、谷底に倒れて死んでゐた。前夜にそこへ転《ころ》げ落ちたか、抛《はふ》りこまれたかしたものである。すると同じ仲間の農夫が一人、彼の友だちに殺人犯人は彼自身であると公言した。「どうして? なぜ?」「あの男は俺の羊を呪つたやつだ。俺は俺の羊飼ひに教はり、三本の釘《くぎ》を鍋の中で煮てから、呪文《じゆもん》を唱へてやることにした。あの男はその晩に死んでしまつたのだ。」……
 この書簡集は一八四〇から一八七〇――メリメエの歿年に亘《わた》つてゐる。(彼の「カルメン」は一八四四の作品である。)かう云ふ話はそれ自身小説になつてゐないかも知れない。しかしモオテイフを捉へれば、小説になる可能性を持つてゐる。モオパスサンは暫く問はず、フイリツプはかう言ふ話から幾つも美しい短篇を作つた。僕等は勿論|樗牛《ちよぎう》の言つたやうに「現代を超越」など出来るものではない。しかも僕等を支配する時代は存外短いものである。僕はメリメエの書簡集の中に彼の落ち穂を見出した時、しみじみかう感ぜずにはゐられなかつた。
 メリメエは
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