と言つても善い。正宗白鳥氏の厭世主義は武者小路実篤氏の楽天主義と好箇の対照を作つてゐる。のみならず殆ど道徳的である。徳田氏の世界も暗いものかも知れない。しかしそれは小宇宙である。久米正雄氏の「徳田水《とくだすゐ》」と呼んだ東洋詩的情緒のある小宇宙である。そこにはたとひ娑婆苦《しやばく》はあつても、地獄の業火《ごふくわ》は燃えてゐない。けれども正宗氏はこの地面の下に必ず地獄を覗《のぞ》かせてゐる。僕は確か一昨年の夏、正宗氏の作品を集めた本を手当り次第に読破して行つた。人生の表裏を知つてゐることは正宗氏も徳田氏に劣らないかも知れない。しかし僕の受けた感銘は――少くとも僕の受けた感銘中、最も僕に迫つたものは中世紀から僕等を動かしてゐた宗教的情緒に近いものである。
[#ここから3字下げ]
我を過ぎて汝は歎きの市《まち》に入り
我を過ぎて汝は永遠の苦しみに入る。……
[#ここで字下げ終わり]
(追記。この後二三日を経て正宗氏の「ダンテに就いて」を読んだ。感慨少からず。)

     十 厭世主義

 正宗白鳥氏の教へる所によれば、人生はいつも暗澹《あんたん》としてゐる。正宗氏はこの事実を教へる為
前へ 次へ
全110ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング