もかう云ふ事実に依つた理智的建築を築いたものはなかつた。若しこの建築を試みるとすれば、長篇源氏物語さへ少くとも声価を失はない点では丁度善い材料を与へたであらうに。(しかし東西両洋の差はポオの詩論にも見えないことはない。彼は彼是《かれこれ》百行の詩を丁度善い長さに数へてゐる。十七音の発句などは勿論彼には「エピグラム的」の名のもとに排斥されることであらう。)
 あらゆる詩人の虚栄心は言明すると否とを問はず、後代に残ることに執《しふ》してゐる。いや、「あらゆる詩人の虚栄心は」ではない。「彼等の詩を発表した、あらゆる詩人の虚栄心は」である。一行の詩も作らずに彼自身の詩人であることを知つてゐる人々もないことはない。(彼等は大小は暫く問はず、彼等の詩的生涯の上に最も平和だつた詩人たちである。)しかし性格や境遇の為に兎に角韻文か散文かの詩を作つてしまつた人々だけに詩人の名を与へるとすれば、あらゆる詩人たちの問題は恐らくは「何を書き加へたか」よりも「何を書き加へなかつた[#「なかつた」に傍点]か」にある訣であらう。それは勿論原稿料による詩人たちの生活に不便である。若し不便であるとすれば、――封建時代の
前へ 次へ
全110ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング