ぜかは僕の知る所ではない。何の為かも僕には不可解である。しかし現代日本文学全集と云ひ、明治大正文学全集と云ふ文芸上の総決算は勿論、明治大正名作展覧会も亦やはり絵画上の総決算である。僕はこれ等の総決算を見、如何に独創と云ふことの困難であるかと云ふことを感じた。古人の糟粕《さうはく》を嘗《な》めないなどとは誰でも易々と放言し易い。が、彼等の仕事を見ると、(或は仕事を見てもかも知れない。)今更のやうに独創と云ふことの手軽に出来ないのを感じるのである。
僕等はたとひ意識しないにもせよ、いつか前人の蹤《あと》を追つてゐる。僕等の独創と呼ぶものは僅かに前人の蹤を脱したのに過ぎない。しかもほんの一歩位、――いや、一歩でも出てゐるとすれば、度たび一時代を震《ふる》はせるのである。のみならず故意に叛逆すれば、愈《いよいよ》前人の蹤を脱することは出来ない。僕は義理にも芸術上の叛逆に賛成したいと思ふ一人である。が、事実上[#「事実上」に傍点]叛逆者は決して珍らしいものではない。或は前人の蹤を追つたものよりも遙かに多いことであらう。彼等は成程叛逆した。しかし何に叛逆するかをはつきりと感じて[#「感じて」に傍点]ゐなかつた。大抵彼等の叛逆は前人よりも前人の追従者に対する叛逆である。若し前人を感じてゐた[#「感じてゐた」に傍点]とすれば、――彼等はそれでも反叛《はんぱん》したかも知れない。けれどもそこには必然に前人の蹤を残してゐるであらう。伝説学者は海彼岸《かいひがん》の伝説の中に多数の日本の伝説のプロトタイプを発見してゐる。芸術も亦|穿鑿《せんさく》して見れば、やはり粉本《ふんぽん》に乏しくない。(僕は前にも言つたやうに必しも作家たちは彼等の粉本を用ひてゐないことを意識してゐなかつたことを信じてゐる。)芸術の進歩も――或は変化も如何に大人物を待つたにもせよ、一足飛びには面目を改めないのである。
しかしこの遅い歩みの中にも多少の変化を試みたものは僕等の尊敬に価してゐる。(菱田春草《ひしだしゆんさう》はこの一人だつた。)新時代の青年たちは独創の力を信じてゐるであらう。僕はそのいやが上にも信じることを望んでゐる。多少の変化はそこ以外にどこにも生じて来るものではない。昔から世界には前人の造つた大きな花束が一つあつた。その花束へ一本の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し加へるだけでも大事業である。その為には新らしい花束を造る位の意気込みも必要であらう。この意気込みは或は錯覚かも知れない。が、錯覚と笑つてしまへば、古来の芸術的天才たちもやはり錯覚を追つてゐたのであらう。
唯この意気込みにもはつきりと錯覚を認めるものは不幸である。はつきりと錯覚を認めるものは?――しかし彼等も亦おのづから多少の錯覚を持つてゐるかも知れない。僕はかう云ふ問題には何とも言はれない一人である。けれども明治大正の芸術上の総決算を見、如何に独創と云ふことの容易に出来ないかを感じずにはゐられなかつた。明治大正名作展覧会を観た人々はいろいろの画の可否を論じてゐる。しかし少くとも僕一人は可否を論じてゐる余裕さへない。
四十 文芸上の極北
文芸上の極北は――或は最も文芸的な文芸は僕等を静かにするだけである。僕等はそれ等の作品に接した時には恍惚《くわうこつ》となるより外に仕かたはない。文芸は――或は芸術はそこに恐しい魅力を持つてゐる。若しあらゆる人生の実行的側面を主とするとすれば、どう云ふ芸術も根柢には多少僕等を去勢する力を持つてゐるとも言はれるであらう。
ハイネはゲエテの詩の前に正直に頭を垂れてゐる。が、円満具足したゲエテの僕等を行動に駆りやらないことに満腔《まんかう》の不平を洩らしてゐる。これは単にハイネの気もちと手軽に見て通ることの出来るものではない。ハイネはこの「ドイツ・ロマン主義運動」の一節の中《うち》に芸術の母胎へ肉迫してゐる。あらゆる芸術は芸術的になるほど、僕等の情熱(実行的な)を静まらせてしまふ。この力の支配を受けたが最後、容易にマルスの子になることは出来ない。そこに安住出来るものは――純一無雑の芸術家たちは勿論、阿呆たちもやはり幸福である。しかしハイネは不幸にもかう云ふ寂光土《じやくくわうど》を得られなかつた。
僕はプロレタリアの戦士諸君の芸術を武器に選んでゐるのに可也《かなり》興味を持つて眺めてゐる。諸君はいつもこの武器を自由自在に揮《ふる》ふであらう。(勿論ハイネの下男ほども揮ふことの出来ないものは例外である。)しかし又この武器はいつの間にか諸君を静かに立たせるかも知れない。ハイネはこの武器に抑へられながら、しかもこの武器を揮つた一人である。ハイネの無言の呻吟は或はそこに潜んでゐたであらう。僕はこの武器の力を
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