等の精神的生活も幾分か変化を受ける筈である。若しかう云ふ点を力説すれば、我々人間の将来は或は明るいと言はれるであらう。しかし又金の為に起らずにゐる[#「起らずにゐる」に傍点]悲劇や喜劇もない訣ではない。のみならず金は必しも我々人間を飜弄《ほんろう》する唯一の力ではないのである。
正宗白鳥氏がプロレタリアの作家たちと立ち場を異にするのは当然である。僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに変るかも知れない。が、本質的にはどこまで行つても、畢竟ジヤアナリスト兼詩人である。文芸上の作品もいつかは滅びるのに違ひない。現に僕の耳学問によれば、フランス語のリエゾンさへ失はれつつある以上、ボオドレエルの詩の響もおのづから明日《みやうにち》異るであらう。(尤もそんなことはどうなつても我々日本人には差支へない。)しかし一行の詩の生命は僕等の生命よりも長いのである。僕は今日も亦明日のやうに「怠惰なる日の怠惰なる詩人」、――一人の夢想家であることを恥としない。
十一 半ば忘れられた作家たち
僕等は少くとも銭のやうに必ず両面を具へてゐる。両面以上を具へてゐることも勿論決して稀ではない。紅毛人の作り出した「芸術家として又人として」はこの両面を示すものである。「人として」失敗したと共に「芸術家として」成功したものは盗人兼詩人だつたフランソア・ヴイヨンにまさるものはない。「ハムレツト」の悲劇もゲエテによれば、思想家たるべきハムレツトが父の仇《かたき》を打たなければならぬ王子だつた悲劇である。これも亦或は両面の剋《こく》し合つた悲劇と言はれるであらう。僕等の日本は歴史上にもかう云ふ人物を持ち合せてゐる。征夷《せいい》大将軍源|実朝《さねとも》は政治家としては失敗した。しかし「金槐集《きんくわいしふ》」の歌人源実朝は芸術家としては立派に成功してゐる。が、「人として」――或は何としてでも失敗したにしろ、芸術家としても成功しないことは更に悲劇的であると言はなければならぬ。
しかし芸術家として成功したかどうかは容易に決定出来るものではない。現にラムボオを嗤《わら》つたフランスは今日ではラムボオに敬礼し出した。が、たとひ誤植だらけにもしろ、三冊(?)の著書のあつたことはラムボオの為には仕合せである。若し著書もなかつたとしたならば、……
僕は僕の先輩や知人に二三の好短篇を書きなが
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