その身もとを洗つて見れば、文芸的素質を予想した上の我々の大小に比例するのであります。文学青年ではいけません。当世才子ではいけません。自称天才では、――わたしは又いつの間にか前回の言葉を繰返してゐました。
では何を鑑賞すれば好いか? わたしは古来の傑作を鑑賞するのに限ると思ひます。これは骨董屋の話でありますが、真贋《しんがん》の見わけに熟する為には「ほんもの」ばかりを見なければならぬ、たとひ参考の為などと言つても、「にせもの」に目をなじませると、却《かへ》つて誤り易いと言ふことであります。文芸上の作品を鑑賞するのもやはりこの理窟に変りはありません。傑作ばかりに接してゐれば、勢ひ他の作品の長短にも無神経になることを免れません。これは日常の経験に徴しても、直《すぐ》にわかることでありませう。糞尿の悪臭を不快としないものに薔薇の芳香のわからぬのは当然すぎるほど当然であります。すると新聞や雑誌に載る文芸上の作品しか読まないのなどは最も鑑賞力を養ふのに損であると言はなければなりません。なほ又かう言ふ用心は鑑賞力を養ふ外にも、創作的気魄を高める上に役立ちはしないかと思ひます。元の四大家の一人と呼ばれる倪※[#「王+贊」、第3水準1−88−37]《げいさん》などと言ふ先生は竹や梧桐の茂つた中に清※[#「門<必」、第3水準1−93−47]閣《せいひかく》と言ふ閣を造り、常に古人の名詩画に親んでゐたと言ふことであります。勿論閣を造るのは誰でも銀行の通ひ帳と相談の上でありますが、兎に角古来の傑作にだけは是非とも親しまなければいけません。
しかし古来の傑作と言つても、一概に古代の傑作ばかり読めと言ふ次第ではありません。一番利益の多いと共に一番又取つき易いのは新らしい文芸の古典でせう。西洋の小説を例にすれば、――西洋の小説と言つてもいろ/\ありますが、まづ近代の日本に最も大きい影響を与へたロシアの小説を例にすれば、兎に角トルストイ、ドストエフスキイ、トゥルゲネフ、チェホフなどをお読みなさい。無暗《むやみ》に新らしいものに手をつけるのはジヤアナリストと三越呉服店とに任かせて置けば沢山であります。それよりも偉大なる前人の苦心の痕をお味ひなさい。時代遅れになることなどは心配する必要はありません。片々たる新作品こそ却つて忽《たちま》ち時代遅れになります。又画の話を持つて来ますが、つい近頃まで生き
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