りは人情の機微を知つたほんたうの大人《おとな》になることであります。と言ふと「それは大事業だ」とひやかす読者もあるかも知れません。が、鑑賞は御意の通り、正に一生の大事業であります。
 素直に作品に面すると言ふのはその作品を前にした心全体の保ちかたであります。が、心の動かしかたから言へば、今度は出来るだけ丹念に目を配つて行かなければなりません。もし小説だつたとすれば、筋の発展のしかたはとか人物の描写のしかたとかは勿論、一行の文字の使ひかたにも注意して行かなければなりません。これは創作に志す青年諸君には殊に必要かと思ひます。古来の名作と言はれる作品を細心に読んで御覧なさい。一篇の感銘を醸《かも》し出す源は到る所に潜んでゐます。名高いトルストイの「戦争と平和」は古今に絶した長編であります。しかしあの恐しい感銘は見事な細部の描写を待たずに生じて来るものではありません。たとへばラストオヴア伯爵家の独逸《ドイツ》人の家庭教師を御覧なさい。(第一巻第十八章)この独逸人の家庭教師は主要な人物でない所か、寧ろ顔を出さずとも差支へないほどの端役であります。しかしトルストイは伯爵家の晩餐会を描いた数行の中に彼の性格を躍動させてゐます。
 「独逸人の家庭教師は食物だのデザアトだの(食事の後に出る菓子や果物)酒だのの種類を残らず覚えようと努力した。それは後にこまごまと故郷の家族に書いてやる為だつた。だから家来がナプキンに包んだ酒の瓶《びん》を携へたまま、時々素通りをしたりすると、大いに憤慨して顔をしかめた。が、なる可くそんな酒などは入るものかと言ふ風を見せるようにした。彼の酒を欲しがるのは格別渇いてゐる為でもなければ、根性のさもしい為でもない。只|頗《すこぶ》る品の良い好奇心を持つてゐる為である。しかしそれは不幸にも誰一人認めてくれるものはない。――彼はかう思ふと口惜しかつた。」
 翻訳は甚だ拙劣でありますが、大意は伝へられることと思ひます。前にもちよつと述べた通り、かう言ふ細部の美しさなしには「戦争と平和」十七巻の感銘、――あの手固い壮大の感銘を生み出すことは出来ません。――と言ふのは創作の上でありますが、これを鑑賞の上へ移すと、かう言ふ細部の美しさをも鑑賞することが出来なければ、あの手堅い壮大の感銘は到底はつきりとは捉へられません。只何か漠然とした感銘を受けるのに了るだけであります。この
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