いたものである。例外として、「奉教人《ほうけうにん》の死」と「きりしとほろ上人《しやうにん》伝」とがその中に這入《はい》る。両方とも、文禄《ぶんろく》慶長《けいちやう》の頃、天草《あまくさ》や長崎《ながさき》で出た日本|耶蘇《やそ》会出版の諸書の文体に倣《なら》つて創作したものである。
「奉教人の死」の方は、其宗徒の手になつた当時の口語訳平家物語にならつたものであり、「きりしとほろ上人伝」の方は、伊曾保《いそぼ》物語に倣《なら》つたものである。倣つたといつても、原文のやうに甘《うま》くは書けなかつた。あの簡古素朴《かんこそぼく》な気持が出なかつた。
「奉教人の死」の方は、日本の聖教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である。「きりしとほろ上人伝」の方は、セント・クリストフの伝記を材料に取入れて作つたものである。
 書き上げてから、読み返して見て、出来不出来から云へば、「きりしとほろ上人伝」の方が、いいと思ふ。
「奉教人の死」を発表した時には面白い話があつた。あれを発表したところ、随分《ずゐぶん》いろいろな批評をかいた手紙が舞ひ込んで来た。中には、その種本《たねぼん》にし
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