ちの連中には、一人もそれを知っている者がない。だから皆、能勢の口から、この滑稽な人物を、適当に形容する語《ことば》を聞こうとして、聞いた後の笑いを用意しながら、面白そうに能勢の顔をながめていた。中学の四年生には、その時の能勢の心もちを推測する明《めい》がない。自分は危く「あれは能勢の父《ファザア》だぜ。」と云おうとした。
 するとその時、
「あいつかい。あいつはロンドン乞食《こじき》さ。」
 こう云う能勢の声がした。皆が一時にふき出したのは、云うまでもない。中にはわざわざ反り身になって、懐中時計を出しながら、能勢の父親の姿《スタイル》を真似て見る者さえある。自分は、思わず下を向いた。その時の能勢の顔を見るだけの勇気が、自分には欠けていたからである。
「そいつは適評だな。」
「見ろ。見ろ。あの帽子を。」
「日《ひ》かげ町《ちょう》か。」
「日かげ町にだってあるものか。」
「じゃあ博物館だ。」
 皆がまた、面白そうに笑った。
 曇天の停車場は、日の暮のようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンドン乞食の方をすかして見た。
 すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅
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