じたのも無理ではなかったのに違いない。なぜと言えば、――
半三郎のまず警戒したのは同僚の疑惑を避けることである。これは彼の苦心の中でも比較的楽な方《ほう》だったかも知れない。が、彼の日記によれば、やはりいつも多少の危険と闘《たたか》わなければならなかったようである。
「七月×日 どうもあの若い支那人のやつは怪《け》しからぬ脚をくつけたものである。俺《おれ》の脚は両方とも蚤《のみ》の巣窟《そうくつ》と言っても好《い》い。俺は今日も事務を執《と》りながら、気違いになるくらい痒《かゆ》い思いをした。とにかく当分は全力を挙げて蚤退治《のみたいじ》の工夫《くふう》をしなければならぬ。……
「八月×日 俺は今日《きょう》マネエジャアの所へ商売のことを話しに行った。するとマネエジャアは話の中《うち》にも絶えず鼻を鳴らせている。どうも俺の脚の臭《にお》いは長靴の外にも発散するらしい。……
「九月×日 馬の脚を自由に制御《せいぎょ》することは確かに馬術よりも困難である。俺は今日|午休《ひるやす》み前に急ぎの用を言いつけられたから、小走《こばし》りに梯子段《はしごだん》を走り下りた。誰でもこう言う瞬間に
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