知らするまで也。我俳諧撰集の心なし[#「我俳諧撰集の心なし」に傍点]。しかしながら貞徳《ていとく》以来其人々の風体ありて、宗因《そういん》まで俳諧を唱《となへ》来れり。然《しかれ》ども我《わが》云《いふ》所《ところ》の俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、荷兮野水《かけいやすゐ》等に後見《うしろみ》して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。」
芭蕉の説に従へば、蕉風の集を著はすのは名聞を求めぬことであり、芭蕉の集を著はすのは名聞を求めることである。然らば如何なる流派にも属せぬ一人立ちの詩人はどうするのであらう? 且又この説に従へば、たとへば斎藤茂吉氏の「アララギ」へ歌を発表するのは名聞を求めぬことであり、「赤光」や「あら玉」を著はすのは「これ卑しき心より我上手なるを知られんと……」である!
しかし又芭蕉はかう云つてゐる。――「我俳諧撰集の心なし。」芭蕉の説に従へば、七部集の監修をしたのは名聞を離れた仕業である。しかもそれを好まなかつたと云ふのは何か名聞嫌ひの外にも理由のあつたことと思はなければならぬ。然らばこの「何か」は何だつたであらうか?
芭蕉は大事の俳諧さへ「生涯の道の草」
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