手打《てうち》の夫婦なりしを衣更《ころもがへ》」「負けまじき相撲を寝物語かな」等はこの解放の生んだ作品である。芭蕉は許六の「名将の橋の反《そり》見る扇かな」にさへ、「此句は名将の作にして、句主の手柄は少しも無し」と云ふ評語を下した。もし「お手打の夫婦」以下蕪村の作品を見たとすれば、後代の豎子《じゆし》の悪作劇に定めし苦い顔をしたことであらう。勿論蕪村の試みた発句解放の善悪はおのづから問題を異にしなければならぬ。しかし芭蕉の付け合を見ずに、蕪村の小説的構想などを前人未発のやうに賞揚するのは甚だしい片手落ちの批判である。
念の為にもう一度繰り返せば、芭蕉は少しも時代の外に孤立してゐた詩人ではない。最も切実に時代を捉へ、最も大胆に時代を描いた万葉集以後の詩人である。この事実を知る為には芭蕉の付け合を一瞥《いちべつ》すれば好い。芭蕉は茶漬を愛したなどと云ふのも嘘ではないかと思はれるほど、近松を生み、西鶴を生み、更に又|師宣《もろのぶ》を生んだ元禄の人情を曲尽《きよくじん》してゐる。殊に恋愛を歌つたものを見れば、其角さへ木強漢《ぼくきやうかん》に見えぬことはない。況《いはん》や後代の才人などは空也《くうや》の痩せか、乾鮭《からざけ》か、或は腎気《じんき》を失つた若隠居かと疑はれる位である。
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狩衣《かりぎぬ》を砧《きぬた》の主《ぬし》にうちくれて 路通《ろつう》
わが稚名《をさなな》を君はおぼゆや 芭蕉
宮に召されしうき名はづかし 曾良《そら》
手枕《たまくら》に細きかひなをさし入《いれ》て 芭蕉
殿守《とのもり》がねぶたがりつる朝ぼらけ 千里《せんり》
兀《は》げたる眉を隠すきぬぎぬ 芭蕉
足駄《あしだ》はかせぬ雨のあけぼの 越人《をつじん》
きぬぎぬやあまりか細くあでやかに 芭蕉
上置《うはおき》の干葉《ほしな》きざむもうはの空 野坡《やは》
馬に出ぬ日は内で恋する 芭蕉
やさしき色に咲るなでしこ 嵐蘭《らんらん》
よつ折の蒲団《ふとん》に君が丸《まろ》くねて 芭蕉
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是等の作品を作つた芭蕉は近代の芭蕉崇拝者の芭蕉とは聊《いささ》か異つた芭蕉である。たとへば「きぬぎぬやあまりか細くあでやかに」は枯淡なる世捨人の作品ではない。菱川《ひしかは》の浮世絵に髣髴《はうふつ》たる女や若衆《わかしゆ》の美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、多情なる元禄びとの作品である。「元禄びとの」、――僕は敢て「元禄びとの」と言つた。是等の作品の抒情詩的甘露味はかの化政度の通人などの夢寐《むび》にも到り得る境地ではない。彼等は年代を数へれば、「わが稚名を君はおぼゆや」と歌つた芭蕉と、僅か百年を隔つるのに過ぎぬ。が、実は千年の昔に「常陸少女《ひたちをとめ》を忘れたまふな」と歌つた万葉集中の女人よりも遙かに縁の遠い俗人だつたではないか?
十三 鬼趣
芭蕉もあらゆる天才のやうに時代の好尚《かうしやう》を反映してゐることは上に挙げた通りである。その著しい例の一つは芭蕉の俳諧にある鬼趣《きしゆ》であらう。「剪燈新話《せんとうしんわ》」を飜案した浅井|了意《れうい》の「御伽婢子《おとぎばふこ》」は寛文《くわんぶん》六年の上梓《じやうし》である。爾来《じらい》かう云ふ怪談小説は寛政頃まで流行してゐた。たとへば西鶴の「大下馬《おほげば》」などもこの流行の生んだ作品である。正保《しやうはう》元年に生れた芭蕉は寛文、延宝《えんぱう》、天和《てんな》、貞享《ぢやうきやう》を経、元禄七年に長逝した。すると芭蕉の一生は怪談小説の流行の中に終始したものと云はなければならぬ。この為に芭蕉の俳諧も――殊にまだ怪談小説に対する一代の興味の新鮮だつた「虚栗《みなしぐり》」以前の俳諧は時々鬼趣を弄《もてあそ》んだ、巧妙な作品を残してゐる。たとへば下の例に徴するが好い。
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小夜嵐《さよあらし》とぼそ落ちては堂の月 信徳《しんとく》
古入道は失せにけり露 桃青《たうせい》
から尻沈む淵はありけり 信徳
小蒲団に大蛇《をろち》の恨み鱗形《うろこがた》 桃青
気違《きちがひ》を月のさそへば忽《たちまち》に 桃青
尾を引ずりて森の下草 似春《じしゆん》
夫《つま》は山伏あまの呼び声 信徳
一念の※[#「魚+檀のつくり」、第3水準1−94−53]《うなぎ》となつて七《なな》まとひ 桃青
骨刀《こつがたな》土器鍔《かはらけつば》のもろきなり 其角
痩せたる馬の影に鞭うつ 桃青
山彦嫁をだいてうせけり 其角
忍びふ
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