な」とはずみかけた調子は、宛然芭蕉その人の心の小躍《こをど》りを見るやうである。更に又下の句などを見れば、芭蕉の「調べ」を駆使するのに大自在を極めてゐたことには呆気《あつけ》にとられてしまふ外はない。
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秋ふかき隣は何をする人ぞ
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かう云ふ荘重の「調べ」を捉《とら》へ得たものは茫々たる三百年間にたつた芭蕉一人である。芭蕉は子弟を訓《をし》へるのに「俳諧は万葉集の心なり」と云つた。この言葉は少しも大風呂敷ではない。芭蕉の俳諧を愛する人の耳の穴をあけねばならぬ所以《ゆゑん》である。
八 同上
芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙に融け合つた美しさである。西洋人の言葉を借りれば、言葉の Formal element と Musical element との融合の上に独特の妙のあることである。これだけは蕪村《ぶそん》の大手腕も畢《つひ》に追随出来なかつたらしい。下《しも》に挙げるのは几董《きとう》の編した蕪村句集に載つてゐる春雨の句の全部である。
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春雨やものかたりゆく蓑《みの》と笠
春雨や暮れなんとしてけふもあり
柴漬《ふしづけ》や沈みもやらで春の雨
春雨やいざよふ月の海半ば
春雨や綱が袂に小提灯《こぢやうちん》
西の京にばけもの栖《す》みて久しく
あれ果たる家有りけり。
今は其沙汰なくて、
春雨や人住みて煙《けぶり》壁を洩る
物種《ものだね》の袋濡らしつ春の雨
春雨や身にふる頭巾《づきん》着たりけり
春雨や小磯の小貝濡るるほど
滝口《たきぐち》に灯を呼ぶ声や春の雨
ぬなは生《お》ふ池の水《み》かさや春の雨
夢中吟
春雨やもの書かぬ身のあはれなる
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この蕪村の十二句は目に訴へる美しさを、――殊に大和絵らしい美しさを如何にものびのびと表はしてゐる。しかし耳に訴へて見ると、どうもさほどのびのびとしない。おまけに十二句を続けさまに読めば、同じ「調べ」を繰り返した単調さを感ずる憾《うら》みさへある。が、芭蕉はかう云ふ難所に少しも渋滞《じふたい》を感じてゐない。
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春雨や蓬《よもぎ》をのばす草の道
赤坂にて
無性《ぶしやう》さやかき起されし春の雨
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僕はこの芭蕉の二句の中《う
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